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壱の講座では、包丁について講義をして行きます。
包丁と言っても用途によって多種多様な種類があります。一般家庭に一番多く使われているのは野菜を切る薄刃包丁(方刃)がもっともポピュラーだと思います。
普段、料理をする上では薄刃包丁が一本あれば事足りると思いますが、魚をさばく時には、出刃包丁があればコツを掴めば楽に魚をさばく事が出来ます。刺身を切り分ける時は、魚の細胞壁を潰さないように長い刃の柳包丁で、引きながら切ると、上から力を加えた時には壊れた細胞壁の押し潰す事こなく、切断できます。
包丁は道具です。道具は人の使い方によって、生きもしますし、死にもします。正しい姿勢と正しい持ち方をしなければ、自分の手を切ってしまうかもしれません。
手入れもちゃんとしなければ、材質がステンレスだと言っても錆びる事はあります。最近はセラミック材質の物が出てきてますが・・・。
包丁の材質も金物は炭素鋼 ・合金鋼 ・ステンレス鋼 ・クラッド材 ・粉末鋼・スウェーデン鋼
があり、それ以外では、ファインセラミック製の物もあります。
価格は安い物から高い物までありますが、最初は自分が持ちやすいサイズを選ぶのが無難ではないでしょうか?
包丁には、和包丁と洋包丁とあります。
○和包丁の製法は大きく分けて2つで本焼(材質は鋼の無垢)と霞(鍛造)(材質は鉄とハガネの合金)です。
○洋包丁は殆どの工程が機械化され、製法は各社特長はありますが、比較的共通しています。
材質は特殊鋼(ステンレス鋼)と鋼の合金です。
包丁の歴史 包丁を人類が使い始めそれが現代のように進化した足跡を追ってみました。
包丁を人類が使い始めたのは、遥か昔の
原始時代までさかのぼります。
その頃の原始時代の原始人の生活は、石と石を擦り合わせ削り尖らせた、石のやじりを作り,棒の先に取り付けた道具を作り、獣を仕留めて生活をしていました。
仕留めた獣の皮を剥いだり、,クルミなどの硬い実を砕くのに、細長い石の板の片方の半分を薄く擦り削り、残り半分を握りやすく加工した石器や石斧などが包丁の原型と考えられています。
現在、人類が使用した最古の石器と言われるものは、1960年にアフリカのタンザニアで発見された180万年前の打製石器でした。発見者のリーキ博士は、その原始人をホモ・ハビリス(道具を使う人)と名づけました。
これが人類最古の包丁の誕生とされています。その後、素材は石や木から鉄への変えていくのですが、人類が鉄を溶かし加工するまでには、まだたった600年前位からなのです。
日本に包丁が入ってきたのは、室町時代の末期に、鉄砲と一緒に「煙草」が、ポルトガルから日本に入ってきました。その頃の、大阪の堺は大変盛んな貿易港だったため、「煙草」はどこよりも早く入ってきました。
「煙草」は室町時代の人々受け入れられ大変大きなブームとなり、国内で栽培され始めました。
「煙草」と包丁とどんな関係があるのか、疑問にもたれるでしょう?
それは栽培した「煙草」を刻むためには包丁が切っても切れない!?道具だったのです。
「煙草」を刻むために、「煙草包丁」が大量に必要になってきたのです。
当時の堺は鉄砲を大量生産が可能なほど、鉄工業が盛んで、諸外国の包丁の加工技術より堺の加工技術の方が上だったため、「煙草包丁」は堺で作られるようになりました。
その後、江戸時代に入ると江戸幕府は、良質な堺の「煙草包丁」に目を付け、幕府の専売特許品(宝暦八年(1758))として「堺極」(さかいきわめ)の極印が押され、日本全国へと普及して行きました。
江戸時代中期の元禄文化圏において「菜刀」(ながたな又はながたん)と言われる菜切り包丁が作られ始めました。 最初は、「菜刀」が中心でしたが、堺の漁港は、堺の大漁夜市でも知られるように有名な漁港でした。
補足.大魚夜市(オオウオヨイチ)は、堺市・ザビエル公園周辺で毎年7月31日に開かれます。
そんな環境もあり、魚をさばくための出刃包丁・柳包丁など多様な包丁が、用途に合わせて作られました。
明治時代に入ると廃刀令が発令(明治9年)され、今まで刀剣を作っていた鍛冶屋職人は刀剣から包丁へとシフトしていきました。
その後、ヨーロッパから近代精錬法が伝わり良質な精鉄を採取する事が可能となり、伝統の技術と相まって世界に通用する和包丁が生み出され現代へと引き継がれています。